田中雅美の姉のスナックの画像!場所と名前は?暴虐の夜の末結婚?
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田中雅美さんといえば2000年のシドニーオリンピックの競泳女子4×100mメドレーリレー(中村真衣・田中雅美・大西順子・源純夏)で銅メダルを獲得して美人スイマーとして有名になりましたが、いまその田中さんのお姉さんや雅美さん本人の活躍に話題が集まってます。
ちょっと追ってみました。
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スイマーとしての経歴
田中さんの得意な泳ぎは平泳ぎ。3人の姉妹の末っ子で生まれて幼少のころからお姉さんの影響で水泳を始めました。
オリンピックに出場するチャンスは1996年のアトランタにもあったのですが、当時のライバル岩崎恭子さんに代表の座を譲っています。
中央大学に進学後も水泳を続け、当時女性での大学水泳は珍しく田中さんが一期生だったようですね。
そして在学中の2000年のシドニーオリンピックで競泳女子4×100mメドレーリレーにて銅メダルを獲得します。
中央大学卒業後は北米へ渡って留学。
2002年のソルトレイクシティオリンピックでは、テレビでのリポーターを務めたりもしていました。(テレビ東京系列)
やはり銅メダルでは現役を終えることはできず、本人の年齢が1979年1月5日生まれで、2004年開催のアテネオリンピックへ出場のときでもまだ25歳という年齢から、オリンピックに挑戦したいしたいとの思いから、2003年スイマーとして現役に復帰します。
見事アテネ五輪出場権を獲得、ですがアテネ五輪では200m平泳ぎで惜しくも4位に入賞、メダルまでにはいたりませんでした。
そして翌年2005年に現役引退を発表しました。
結婚している?
2009年7月、30代半ばの会社員男性(当時)との結婚を発表し、翌月8月に挙式・披露宴が行われました。
その時の様子の画像がこちら!
人生一番の幸せを迎えた笑顔ですね。
こちらのご主人とは、共通の友人を通じて知り合って、お付き合いは1年半されて結婚に至りました。
別に「暴虐の夜」の末でのことではありません。
このタイトルはどうやら同姓同名の作家「田中雅美」さんの官能小説らしく内容もかなりエキゾチックな内容となっています。
そのため田中雅美さんと検索すると「暴虐の夜」と出てくるんですね。
ですが結婚生活は、2年7ヶ月で破局、2012年3月に離婚しました。
田中さんは自身の離婚の原因について、
「日々の仕事が徐々に忙しくなっていった中で、生活のすれ違いやお互いの考え方に違いが生じ、それを埋めていくことができませんでした」
と語っています。
出ましたね~。有名人の離婚の原因ダントツナンバーワン!
「すれ違い」
あまりにも多い気がします。
過去のすれ違いを理由にした有名芸能人の離婚の記事はこちら!
↓優木まおみが離婚危機?原因はすれ違い!料理の味に旦那や子供は?
http://geinou108.com/578.html
その後、2012年には『週刊プレイボーイ』の最新号で袋とじカラーグラビアに登場しています。
あまりエスカレートしすぎないほうがいい気が・・・
お姉さんはスナックを経営?
これは先日テレビ放送されたテレビ朝日系列の「くりぃむしちゅーのまいったなぁ互助会」で田中さんのコンプレックスについて語ったのが発端です。
なんでもこの美人DNAをしっかり受け継いだお姉さんが二人いてグラマーの体系は末っ子の雅美さん以上だそうなんです!
お姉さん二人というのが、北海道岩見沢市でスナック「ブレスト」を経営している長女の千寿さんと次女の優さん。
優さんにいたっては胸のサイズがピークでFもあったそうで、雅美さんがコンプレックスに感じていた胸が小さいというのがお姉さんと比較してたところもあったようですね。
雅美さんが言うには水泳で胸が小さくなったと言ってましたが、優さんが言うにはピークのFのサイズは水泳をやっていたときだったということで雅美さんの意見を完全否定してました。(苦笑)
雅美さんが、スナックをやっている姉2人は巨乳なのに自分は貧乳、水泳していたからなのかその差はなんなんだろう・・・と話してましたね。
ちなみにスナック「ブレスト」の場所はこちらです。よかったら健全なお客さんとして足を運んでみてくださいね。
お店の画像もアップしようとしたのですが見つけることができませんでした・・・
北海道岩見沢市三条西1丁目2-1
田中さんの動画!
実際の銅メダルを獲得した映像をご覧ください。
まとめ
田中雅美さん、スイマーの芸能界での活躍は女性では数少ないのでぜひぜひこの先の活躍に期待したいですね!
あさってのネプリーグもチェックですね!
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タグ:田中雅美